日本の労働環境 問題意識を持たずに仕事をしている人たち

自分の業務に漫然と取り組み、問題意識を持っていない人たちがいる。これは、担当者レベルだけではなく、管理職や役員レベルの人たちにもいる。


とある物流企業において、システム更改を検討していた。そんな中、入出庫業務の担当課長が次のような話をしていた。
「現在は入出庫のミスが起きることがある。これが新しいシステムになることで改善される。」

その話を耳にしたので、現行システムのどのような点に問題があるのか、その担当課長に尋ねてみた。例えば、入力で分かりづらい点があるのか、入出庫の指示書にミスを誘発するような分かりにくさがあるのか、どのように認識しているのかを確認したかったのだ。しかし、答えは「問題点がどこにあるのか分からない」というものだった。
つまり、入出庫ミスの原因がどこにあるか考えたことが無いが、とりあえずシステムの問題だということにしていただけだった。現行システムのどの部分に問題があると認識していれば、その点を改善することで入出庫ミスを減らすことは期待できる。しかし、問題点を浮き彫りにすることもないまま新システムになったところで、入出庫ミスを減らすことなど期待できるはずもない。


このように、ただ漫然と自分の業務に取り組んでいる人は珍しくもない。問題点や無駄の洗い出しをすることもなく、業務効率を高めようともしない。
これは以前に書いたことにも繋がるのだが、無駄を無駄として残し、忙しそうにしている姿を周囲へアピールすることが正社員として生き残るためには大事なことだ。問題意識を持ったりするよりも漫然と仕事をこなすほうがいい、そのような意識になるのも必然かもしれない。

日本の労働環境 自分たちの業界全体の価値を下げてしまう残念な事例

ときどき、自分たち自身で、自分たちの業界全体の価値を下げてしまっているのではないかと感じることがある。残念なことだけれど、珍しいことでもない。


例えば、IT業界。特に、技術者派遣の業態は顕著である。本来、一般の人よりは高いスキルを有していることで価値が生じていくはずだ。しかしながら、技術者の数を増やすことが優先され、スキルのレベルは二の次とされている。
現実に、超初心者をSEとして技術者派遣している例など珍しくもない。ある程度大きな規模の開発になると、複数の協力会社から人員をかき集め、技術者を〇〇人・△△か月常駐させるという契約になることもある。このような場合、スキルよりも人数が優先される。人数をそろえるため、二次下請け、三次下請けなど、多重下請け構造から頭数要員を集めることになる。頭数要員として、入社数日程度の新人を派遣する例も目にしたことがある。
このような状況では全体のスキルが押し下げられてしまうため、技術者の価値も低くなってしまう。IT業界自らが、技術者の価値を下げてしまっている。


次に、運送業界で目にした事例。ずいぶん昔のことだが、とある記事を読んだ。
大まかな内容としては、「往路は荷物を積んで行くが、復路に積み荷が無ければ無駄に車を走らせることになるので、安い単価でも積み荷を請けるようにしている」という感じのものだ。この記事を読んで、運送業界全体にとってマイナスになるだろうと思った。なぜならば、運送業界全体での売り上げが下がるのだから。
例えば、東京→名古屋が往路で、復路が名古屋→東京の場合。復路の運賃が、往路の7割~8割程度だったと仮定しよう。名古屋の荷主にとって、この運賃が基準となってしまう可能性がある。また、別の運送会社はこの逆の路線(往路が名古屋→東京で復路が東京→名古屋)で荷物を運び、同様の考え方で安い運賃で荷物を請けようとした場合はどうなるだろうか。
最悪の場合、荷主側の運賃の基準が下がってしまい、本来は利幅の大きかったはずの往路の運賃価格の下げ圧力が強くなってくるだろう。安易に単価を安くしてしまうと、業界全体へ波及しかねない。


ここに書いたのはごく一部の事例にすぎない。あらゆる業界で似たようなことが起きているだろう。

雑談 物価上昇と備蓄について

最近、食料品をはじめとした品々が値上がりを始めている。物流や生産が滞っている状況からすると、これからもしばらくは価格上昇が止まらないと思われる。


価格が多少上がったとしても、普通にお店で購入できる間はそれほど大きな問題とならないかもしれない。しかし、いずれ品不足が顕著になる可能性は高い。海外の例を見ると、多少の値上がりではなく 2倍以上になっている例も目にする。もっと品不足が深刻化してしまえば、普通に買うことが難しくなることも考えられる。
個人レベルで出来ることは、今のうちから備蓄をするくらいしかない。具体的には、乾麺のパスタ、レトルトパック、缶詰など、長期保存の可能な食品だろうか。その他にも、ティッシュペーパーや下着類のような消耗品もある程度備蓄しておいた方が安心だろう。冷蔵庫などの大型家電品の場合、急に故障しても代替品が不足しているかもしれないが、そのようなものはさすがに諦めるしかない。


ただ、備蓄に向けて購入をする際にも、気を付けるべきことはある。自分一人のことだけではなく、周囲にも目を向ける必要があるということだ。周囲の人も備蓄を必要としている可能性はあるのだから、独り占めをしてはならない。一気に大量買いをするのではなく、店頭の状況を見て少しずつ備蓄していってほしい。
平時においても、災害用の備蓄として数日間~数週間分くらいの備蓄が必要だと言われている。今回は、もっと長期になる可能性もあるので、ある程度の備えはしておくべきだろう。

雑談 最初に触れた情報を疑いもなく信じる人たち

最初に入ってきた情報を、何の疑いもなく受け入れる人たちがいる。このことが不思議に感じる。


特に不思議なのが、最初に触れた情報には根拠を求めず、それを否定する情報には根拠を求めることだ。否定する情報に触れた際、最初に触れた情報にも疑問を持ち、どちらの情報にも根拠を求めるのであれば理解できる。しかし、最初に触れた情報が正しいものとして頭に刷り込まれ、根拠らしい根拠が無かったとしても簡単に覆ることはない。


例えば、マスク問題。最初にマスクの効果が大きいという情報に触れてしまったため、未だにマスクが何よりも大事だと考えている人がすごく多い。

海外ではマスクの効果が大きくないとする動きも徐々に出始めているが、日本ではまだまだという感じだ。マスクの効果を疑問視するものとして、色んな施策を取っている国や地域の統計を比較しているものがある。それらの統計は根拠として信用されず、マスクの効果が大きいという言葉は根拠もなく信用されている。


マスクのことは単なる例であり、流れている情報に対して何の疑問も持たない人が多すぎる。恐ろしい。


勿論、些末な情報まで含めて根拠を探していては大変だろう。しかし、影響度の大きいものは根拠を求めるべきではないだろうか。少なくとも、否定する情報に触れたときには、いろんな角度から根拠を調べて判断するように意識してほしいものだ。

雑談 株価が暴落したときに喜ぶ気持ちが理解できない

今日も日経平均株価が大きく下がった。そのようなときに、「自分たちのように資産を持っていない人には関係ない。資産家たちも痛い目を見ろ。」みたいな意見を目にすることがある。


この気持ちが理解できない。
なぜならば、株価が下がるということは、労働者たちにも影響するからだ。まあ、一時的なものであれば一般の労働者には影響しない。問題なのは、株価の低迷がある程度長期化する場合だ。
株価が低迷すると、景気が悪化し、企業も人員削減などを行う風潮が強くなってくる。リーマンショックなどは典型的なものだろう。


確かに、株価が上がったからと言って一般の労働者には目に見えるような恩恵は少ないかもしれない。しかし、株価が下がるときには人員整理などの実害を被ることになるかもしれない。非常に理不尽だと思う。
以前も雑談 株価は半年先の景気を織り込んでいるという説という記事を書いたが、金融屋が投機をして株や債権の価格を操作した結果で景気が左右され、それが実体経済に波及しているように思える。実体経済で株価が形成される方が正常だと思うのだが、そうなっていないように感じる。

雑談 選挙で投票したい候補者がいない場合にどうすればいいのか

以前、雑談 選挙で自分の一票は無駄だと考えてはいけないという記事を書いた。投票したくても、選挙の候補者の中に支持したい人がいない、そんなケースはいくらでもある。それどころか、投票したいと思えるほどの候補者なんて、レアケースだと断言してもいいくらいだ。
しかしそれでも、出来るだけ投票はするようにしている。


私が投票したい人がいない場合、投票基準としては主に2パターンある。
まず、どの候補者が当選しても状況が良くなりそうな気はしないが、まだ少しでもましだと思える人に投票するパターン。
候補者Aの公約のうち、10%は同意できるが、20%は自分と真逆の考え方で、70%はどちらとも言えない。候補者Bの公約は、20%が同意できるが、30%は自分と真逆の考え方で、50%はどちらとも言えない。
このような場合、同意できる公約を重視するか、自分とは真逆の考え方を重視するか、それはケースバイケースとなる。多くの場合、自分とは真逆の考え方を重視し、その候補者を除外することになる。


次に、当選しないであろう泡沫候補者に投票するパターン。どの候補者にも投票したくないが、誰が当選する可能性が高いのか事前にある程度予測できる場合に、このような投票をすることがある。
例えば、次のようなケースだ。候補者A・B・Cの3人が立候補していて、Aが当選する可能性が高く、Bも可能性としては排除できないが、余程のことがない限りCが当選する可能性は考えられない。いわゆる、候補者Cは泡沫候補者と呼ばれる存在だ。
このようなケースの場合、候補者Cに投票することも多い。どうせ当選しないのだから棄権や白票と同じではないか、そのように見えるかもしれない。しかし、棄権や白票という消極的な方法ではなく、当選した人の公約を支持していないことを積極的に意思表示したいのだ。


とは言いながら、公約で判断できないことも事実なので、有権者としては困ってしまうものだ。過去、公約を実現しないどころか、公約とは真逆の行動をとる政治家もいたのだから。公約を実現しようとしたけれど実現できないのは仕方ないけれど、さすがに真逆の行動をとることは禁止できないものだろうか。

雑談 日本人は自由が嫌いなのではないだろうか

時々、日本人そのものが「自由」を嫌っているのではないかと思うことがある。かつて、「日本は世界で最も成功した社会主義国だ」とも表現されたことがあるが、その通りだと感じてしまう。


個人の意見は許さず、異論は封じ込めようとする。そして、集団で形成する空気感というものを通して、言論だけではなく行動も相互監視で制限してしまう。これは思想的な自由を奪われていると考えることが出来る。
また、一度就職すると、転職の自由度が低い。転職出来ないわけではないが、労働者数に比べて転職市場が非常に小さいので、結果として会社の奴隷のようになってでもしがみつかねば生きていけない状態になる。このことは、経済的自由度が低いことにつながる。思想的にも経済的にも(一部の人を除く多くの)個人の自由度が低く、社会主義的というか、全体主義的というか、自由とは縁遠い感じがする。


日本人の性質として、個人を犠牲にしてでも日本人全体の繁栄を望むのだとしたら、そして古い日本の価値観を維持し続けていたのだとしたら、それでもよかったであろう。しかし、中途半端に海外からの資本主義・個人主義が入り込んでしまったため、個人の利益を何よりも優先する人が増えてしまい、歪みが生じてきている状態なのかもしれない。この歪みについて述べるには文章の量が増えてしまうだろうし、また、もう少し頭を整理する時間も必要なので、別途あらためて記事を書きたいと思う。


雑談 「後悔しない人生」ってどうなんだろう?でも書いたことにつながるのだけれど、「後悔したくない」というベクトルが強すぎるのではないだろうか。自分で決断して後悔するよりも他人に自分の人生をゆだね、決断しない代わりに責任を他人に押し付ける方がましだと思っているのではないだろうか。いくら責任を押し付けたところで、それは単に心情的な効果しか持たない。現実問題として自分の人生が好転するわけでもないのに。
自由があり、自分で選択する権利を持つことは、自分の人生に責任を持つということでもある。日本人は、自分の人生に責任を持ちたくない人が多いのではないだろうか。そうなのであれば、自分の人生にすら責任を持ちたくないという精神性を持っているのだとしたら、現状の日本企業において「いかに責任を回避するか」が重要であり、結果としてそのような人が昇進して権限を持っていくことも分かる気がする。そして、「責任を回避する」能力は政治家・官僚・企業の役員や役職者、あらゆるところで発揮されている。