雑談 政府が検討している「低所得者への給付」に対する国民の反応に思うこと

政府が経済支援策として低所得者への給付を検討しているとの報道がある。この報道に対し、給付対象から外れる人が救われないことを懸念する声が上がっている。給付対象となるのが非課税世帯であろうと考えられており、それではワーキングプア層が救われないからだ。
働かない人たちが給付を受けられるが、働いても苦しい生活を強いられている人たちは受けられない。それでは、苦しい生活を送っている人たちの収めた税金が働かない人たちへの給付に回っていると思われるからだ。確かに、そのような考え方もできるだろう。中には、非課税世帯への憎しみの目を向ける人もいるようだ。
しかし、働いても経済的に苦しいのは非課税世帯の人たちのせいではない。そのような視点を持ってみてはどうだろうか。


例えば、自分の会社を頭に思い浮かべて欲しい。社員がいくら働こうとも収入が増えないのは何故なのか、会社の利益が増えないのは何故なのか、考えたことがあるだろう。もしかしたら、働いていない社員が目に付くかもしれない。しかし、よく観察してみると、働いていない人のマイナスなど大したことがないと気が付くだろう。働いていないだけであれば、それはゼロなのであってマイナスではない。せいぜいその人の給与分のマイナス程度だ。
大きなマイナスとなっているのは、何もしない人ではなく、余計なことをしている人だと気付くはずだ。マイナスなのだからゼロよりもはるかに悪いし、その人の給与の数倍、数十倍のマイナスとなることも珍しくない。適性に合わない業務を担当している役職者や役員などによる、適切ではない指示で多くの社員が動き、大きな損失となったこともあるだろう。そのようなマイナスを引き起こす人たちが一人や二人ではない。そのような人を見ると、生活できるくらいの給与は貰ってもいいから何もするな、会社に来なくてもいいから、とすら思ってしまう。
このマイナスのことは、日本の労働環境 マイナスの生産性とはどのようなものかで触れているので、そちらを読んでいただけるとありがたい。


自分の会社のことではなく、多くの人が報道で目にしたことがあるような、少し大きな社会問題となった例も考えてみよう。
某中古車販売会社はどうだろうか。レジ袋有料化はどうだろうか。LGBT理解増進法はどうだろうか。マイナ保険証はどうだろうか。某県で検討されていた子ども放置禁止条例はどうだろうか。万博や五輪はどうだろうか。


非課税世帯への給付よりもはるかに大きな社会コストがあり、そちらに目を向けるべきだと考えている。このブログで繰り返し述べてきていることだが、適性に合っていない業務に就いている人が多すぎるのだ。特に影響の大きい政治家や官僚、会社の役員や役職者、そういった人は適性の高い役割に就いてほしいのだが、そうなっていないのが現実だ。
それらを解決するのは簡単ではない。しかし、問題意識を持たなければ状況は改善することが無いし、悪くなる一方のように感じている。まずは一人でも多くの人に問題意識を持つことから始めてほしい。