雑談 選挙で自分の一票は無駄だと考えてはいけない

今年は統一地方選挙参議院選挙が行われる。自分の意思を表明する機会である。
せっかくの機会ではあるが、自分の一票で結果は変わらない、と考えて投票しない人も多い。確かに、一票で結果が変わることはほぼないだろう。ただ、自分の一票は無駄だから投票に行かないという人が相当多くいることが問題だ。実に有権者の40%以上もいるのだ。
棄権している人のうち10人に1人でも投票に行くようになれば、それは有権者の数パーセントになる。十分、結果に影響する数になるだろう。
特に、現在棄権している人の層を考えると、意味は大きくなる。現状、どこか特定の政党を支持している人は、ほとんどが投票に行っているだろう。棄権している人の多くは支持政党を持たない人であり、その人たちの意思が選挙に反映されていない、と考えることができる。

投票率が上がると、世論に流される人の投票率が高くなることになるかもしれない。政策以外の要因、例えば芸能人や元スポーツ選手などへの投票が増える可能性もある。いわゆる、衆愚政治の傾向が強くなることも考えられる。とは言え、現状の選挙が、冷静な判断の元で投票を行われているとも思えない。選挙の都度、世論にも流されず、誰に投票するかを純粋に公約で判断している人はそれほど多くないだろう。
海外の選挙や国民投票でも、「なぜこうなった」という結果を聞くことはある。日本でも同じようになる恐れもある。しかし、そうなったとしても、それが日本の能力だったということだ。

もちろん、投票率が低い原因として、政治家の側、候補者の側にも問題があることは間違いない。選挙公約を実現しないどころか、真逆の動きをすることすらあるようでは、政治家を信頼することなど出来ない。投票の判断基準となる、公約そのものの意味がないのだ。
相当数の支持者層がいる、従来の政党側としては、投票率が低いほうがいいという面もあるだろう。棄権する人が多いということは、特定政党を支持する人の投票率が高くなることを意味するのだから。

野党の議員たちも、いい加減、なぜ国民の理解を得られないのか理解してほしいものだ。現状は、国民の理解どころか、反感を買っているくらいなのだから。これでは、与党の政策に反対したくても、野党にも投票できず、結果として棄権してしまう人もいるだろう。現に、どこにも投票できないと棄権した知人がいる。
選挙では、自分の一票は無駄だからと単純に考えずに、棄権する人が少なくなれば意味のある数字になると考え、1人でも多く投票に行ってほしいと願う。特に、若い世代の意見を反映させるためにも、若い人ほど選挙に行ってほしい。まあ、候補者の意識自体が高齢者層に向いているだろうから、現時点では若い人にどれだけ選択肢があるのか疑問はあるけれど。ただ、若い人の投票率が上がれば、次回の選挙、その次の選挙で、候補者の側も徐々に若者のほうを意識せざるを得なくなってくるだろう。