日本の労働環境 ノルマを与えるやり方は正しいのだろうか

よく、ノルマを設定して努力させるというやり方を目にする。これって、果たして良い結果につながるのだろうかと思うことがある。


実際目にしたことがあるケースを基に考えてみたい。
まず、現実的ではないノルマを課せられた例。とある営業部門で、到底実現不可能なレベルの年間予算を会社上層部から指示されたことがあった。努力でどうにかなる可能性があればともかく、あまりにも現実と乖離しすぎていたため、「予算」という言い方はせず「努力目標」と呼ぶようになっていた。
これは、ノルマの設定が正しくなかったために社員のやる気を削いでしまった例だ。


次に、ノルマを達成すればよいと考えてしまった例。多くの場合、年間予算をさらに細かく月次予算に分け、各担当に振り分けているだろう。ここで、月次予算をクリアできるであろう予測が既に計算できている状況で、新たな受注が発生しそうなときに「来月に回しましょう」という方向で取引先と相談を進めているケースがあった。当月のノルマをクリアしているのであれば、来月のノルマの一部として確保しておいた方が自分のためだから。本来であればさらに売り上げの上積みが可能であるのに、敢えて止めているのだ。
なぜこのようなことが起きるのかというと、2つの理由が考えられる。まず一つは、日本の労働環境 無能な上司その1で書いたとおり、予算を達成した場合は何も言われないが、未達成の場合は厳しく詰問されることになるので、単月レベルで未達成とならないように調整した方が得だからだ。
もう一つの理由として、今年の実績を参考として次年度の予算が決まるため、あまり「良過ぎる」結果も好ましくないと考えられることもある。実際、そのように考える営業担当もいた。


また、ノルマを達成するため(達成したように見せかけるため)に強引な手段をとった例もある。
ずいぶん昔の話である。とある部門で売上げや利益が予算未達であった。そのとき、好調な部門に「今月そちらのプロジェクトを手伝ったことにして少し利益を回してほしい。別の機会に補填するので。」とお願いをしていた。会社全体で見れば売上げや利益をごまかしているわけではないが、やはり正しい処理ではない。今であれば、社内のコンプライアンス委員会から指摘を受けるやり方だ。
当時、その部門長は「このような調整が出来なければだめだ」と自慢をしていたが、当時からおかしいと思っていた。なぜならば、このやり方の問題点は、「利益の出るプロジェクト」「損失を出したプロジェクト」が見えなくなってしまうことにあるから。正しい経営判断をするためには正しい情報が必要なのだが、その情報を隠してしまってどうしようというのか。
もちろん、その責任は経営陣にある。正しい情報をきちんと報告するような体制、雰囲気作りが出来ていないということなのだから。
そして、このような手段をとるにあたって、インセンティブが大きければ大きいほど動機も強くなるだろう。例えば収入や役職の場合もあるだろう。あるいは、ノルマを達成できなかった場合に受ける圧迫が強ければ、その圧迫から逃れたいという気持ちも一種のインセンティブであろう。
強引な手段として違法あるいはグレーゾーンのケースもあるようだが、その一部を報道として目にする機会もある。