日本の労働環境 どうすべきなのか その4

前回、採用のやり方がおかしいのではないか、ということについて書いた。

採用と同様、異動や昇格についても個人の適性は考慮されない。個人の適性を把握する能力がないのだから当然だ。
業務との適性という問題もあるが、役職者の場合には原則として降格させることができないという問題もある。役職者としての適性がなかったとしても、役職者であり続けるのだ。


随分昔のことだが、とある会社で、課長の360度評価を実施したことがある。課長が自分自身を評価し、部下が課長を評価し、課長同士も評価しあうというものだ。
ある課長は、自分自身を完全無欠の人間のように評価していた。随分昔のことで正確に覚えているわけではないので多少いい加減ではあるが、部下の能力を把握し、適切な業務量を与え、取引先の立場に立って考え、社内外の調整力もあり、行動力もある、というような感じだ。ところが、周囲からの評価はほとんど真逆で、行動力があるという一点だけが自己評価と一致していた。「無能な働き者」の典型に思える。
その課長に対する部長の印象も、あまりいいものではなかったようだ。その課長の部下が退職の意思表示をしたときに、部長から「あの課長に問題があることは知っている。いつかあの課長の下から異動させてやる。だから退職せずに残れ。」というような話をされたとのこと。結局その人は、問題のある人物を課長のままにしておくような会社に希望を持てずに退職していった。
本来、管理職として問題があれば降格させるのが正しい仕組みであろう。しかし、日本では懲戒処分に当たるような大きな問題でもない限り、原則として降格させることが難しい。(表向きには)降格扱いではなく課長からはずす場合もあるが、課長職同等扱いの役職名に変わるだけで、給与も大きく下がることはない。
その一方で、安易に課長に昇格させるという面も日本の会社は持っている。残業が多い社員などは、残業手当を多く支払うくらいなら課長にしてしまえ、ということも珍しくない。なぜ残業が多いのか、という原因を考えずに、である。

日本の会社では異動をさせても基本的には賃金に変化が無い点もおかしいと思っている。業績評価によって差が付けられるが、基本的には、一般社員、主任、課長、部長などの職位に値札が付いているのだ。
経理課長、営業担当、営業課長、などの役割ごとに値札が付くべきだろう。例えば、経理課長500万円、営業担当600万円、営業課長900万円、という感じである。それとは逆に、経理が非常に重要で、営業のスキルが低くても商品を売ることができる会社の場合は、経理課長900万円、営業担当400万円、営業課長600万円、ということもあり得る。
自社にとって重要な部門はどこなのか、その部門に求められるスキルは社会全体から見てどの程度の高さなのか、その人材を確保するためには賃金をどの程度に設定するのか、それは会社ごとに変わってくるだろう。

いずれ、それぞれの役割ごとに賃金も異なり、その異なる労働条件で募集、採用を行い、賃金に見合った成果を出せているかどうか評価する、という方向にシフトしていくだろうと思う。