雑談 「誰が言った言葉なのか」で判断する人たち

世の中、誰かの話を聞いたときに、話の内容ではなく、誰が言った言葉なのか、で判断する人たちってすごく多いように感じている。もちろん、人間同士なので嫌いな人からの言葉は受け入れがたいというのはあるけれど。


随分昔、「安全第一」と言っているだけでは事故を減らすことは出来ない、優先順位を会社が示すことが大事だと社内で話をしたことがあった。「安全第一」だけではダメだというのは、日本の労働環境 無能な上司その2でも書いたことだが、第二・第三がなければ、「納期短縮も第一」「コスト圧縮も第一」「売上も第一」となってしまうからだ。そのときの反応は、「何馬鹿なことを言ってるんだ、お前の話なんか聞くに値しない」というくらいの態度だった。
しかし、先の言葉は、ヤマト運輸の小倉会長も言っていたことである、と話すと態度が変わるのだ。同じ内容であったとしても、何を言っているのかではなく、誰が言ったのか、で判断しているのである。
なぜこのようなことが起きるのかというと、話の内容を判断する能力が無いからだ。自分自身で判断する能力が無いから、誰かの権威に裏付けされた言葉を信じるのだ。
これには逆のパターンもあって、あの人が言った言葉であれば間違っているに違いない、その逆が正しいのだ、と根拠も無く反対することもある。

当然、ニュースの第一報なんかは、誰が言ったことなのか、で判断するしかないだろう。しかし、誰が言ったのか、で判断すべきではないことも多いはずだ。自分で判断するのが難しいことは確かであるが、できるだけ自分の中に判断軸を持って、考えていきたいものだ。