日本の労働環境 存在自体が無駄な部門の実例

とある会社で実際に目にした、部門の存在自体が無駄だろう、というものがある。
全社の仕入原価を下げることを目的として、全社一括の購買窓口の部門を作った。一般品も個別作業委託も、この部門から発注するルールになった。この部門が見積書を受け取り、仕入先と交渉し、最終的な金額を取り決め、発注手続きを行うのである。
まあ、一般品はそれほど手間もかからないだろうし、一括発注でボリューム効果があるかもしれないのでいいだろう。しかし、個別の委託は、委託内容に対しての作業見積もり内容が適切かどうか判断する能力が必要だが、それはなかなか簡単ではない。依頼した当事者ではなく、第三者が書類だけで個別の状況を踏まえて判断しなければならないのだから。実際、作業内容までは判断出来ず、金額の交渉しか出来ていないようだった。
結果として、どのようになるか。しばらくすると、委託業者から提出される見積もり時点で、「金額交渉で減額されるであろう」金額が上乗せされるようになったのである。当然、依頼した担当者自身も、そのような金額が上乗せされていることは承知した上で見積もりを受け取っている。

見かけ上は、金額交渉で仕入原価が下がっているように見えているだけで、現実的な効果があるわけではない。依頼担当者と購買窓口とのやりとりとか、購買窓口と委託先会社との金額交渉とか、余計な手間が増えているだけである。
担当者と委託先とで結託して不正な取引をしようとしている場合に、購買窓口が牽制の役割を果たせる可能性はあるかもしれない。しかし、悪意を持って不正な取引をしようとしている場合は、書類上は体裁を整えているだろうし、不正を見抜くことも簡単ではない気がする。

この仕入原価を低減するためのコストと、仕入原価の低減効果とを比較して、逆にコストが上がっている気がしている。先にも書いたが、取引先は減額交渉の分を上乗せした見積もりを作っているのだから。