日本の労働環境 出来ないことに挑戦することが正しいと思っている人たち

以前、日本の労働環境 日本企業の病その1の中で出来ないとわかっていることに挑戦するのは無駄だと書いた。しかし、「難しいことに挑戦する」ことが大事だという考えを耳にすることも多く、なかなか根強いように感じる。


私も「結果が見えていないこと」であれば挑戦する価値があると思っている。代表的なものが、研究・開発などであろうか。結果が出るのが数年後なのか数十年後なのか、その予測すらできないことに挑戦する価値はある。そのような分野も必要だ。
しかし、「出来ないと結果が見えている」ことに挑戦することは無駄でしかない。一般的な企業活動にはコストや期限などの制約条件があり、その制約の中で最良の結果を出すには無駄な労力を費やす余裕などない。


この説明をするときに、たとえ話として将棋の話をすることがある。
将棋の強い人から見れば詰んでいる(詰みまでの手順が見えている)状態であっても、強くない人からすると勝負がついていないように見えることも珍しくない。
このように、ある人からすると結果が予測できなかったとしても、その分野に精通した人からすると結果が見えることがあるのだ。このような詰んでいる状態を「出来ないと結果が見えている」と言っている。


プロジェクトなどで「今考えている案は現実的ではありません。現実的にはこうするべきです。」と話をしても、耳を傾けてもらったことがない。「出来ない」という言葉が嫌いで、「出来る方法を考えるのがお前の仕事だ」という考え方が正しいと信じ切っている人が多くて本当に困ってしまう。将棋の例であれば、どれほど労力をつぎ込んだとしても「詰んでいる」状態は覆らないのに。
まずは、自分には結果が見えていないだけで、他の人には結果が見えているかもしれない、その考えを持ってほしい。「出来ない」という根拠をきちんと聞いてほしい。その根拠を理解するにも前提知識が必要な場合もあり、その分野への理解力が不足していると理解するのも難しいのではあるが。
また、その分野の専門家がどのようなスタンスで話をしているのか、それを踏まえて判断しなければならないことも問題を複雑化させている。専門家や有識者と呼ばれる人たちの中にも「自分の利益のために相手をだまそう」とする人もいるので、盲目的に相手を信用してもいけない。