日本の労働環境 奇妙な人材配置

日本の企業では、奇妙な人材配置が行われることがとても多い。少しだけ実例を挙げる。


日本を代表する、多数の事業会社を抱える Nが付く企業群で、事業会社をまたぐ人事異動が行われることがある。
その事業会社の中に、建築関係の会社があるのだが、まったく畑の違う会社から異動してきた人がいる。当然、建築関係の知識もなければ、経験もない人だ。
その人が(すごく小規模な改修工事だったと記憶しているが)現場の監理として現場に入ったことがあるが、当然何も判断できないし、各作業会社に何も指示できない。建築関係の事業会社に、なぜそのような人を配置するのか。
なお、そのような監理でも、工事は完了させることができる。各作業会社たちが、不都合があまり生じないように調整しあうからだ。
まったく役に立たない現場監理であっても、非常に高額の人件費は発生している。何といっても、Nが付く事業会社の人だ。
工事監理の実態がこうなのだから、いっそのこと工事監理を不要にしてもかまわないのではないかと思ってしまう。誰でもいいから現場にいればいい、というレベルだったら、なくしても影響ないはずだ。


とある、小売企業の話。コンピュータシステム部門の縮小で、一部の人員を現場の販売部門へと異動させた。当然、個々の適性などは考慮していない。
まあ、このような事例は珍しいことではなく、会社としては暗に退職勧奨をしているだけだ。現に、販売現場の業務が適性とあわずに、心身を病んでしまって辞めてしまった人もいたようだ。


このような、個々の適性と合わない人材配置が行われるのは、新卒一括採用・終身雇用が背景にあることは間違いない。辞めさせることができないのであれば、(形式上だけでも)自主退職の体裁をとらねばならない。
これは、企業側にとっても、働く側にとって不幸なことであろう。会社の環境変化に伴い、必要とされるスキルも変化してくるのは当たり前だ。会社の中で自分の持つスキルが必要とされなくなっただけであり、別の会社では必要とされる可能性はある。
あるスキルを持つ人材を、会社の中で埋もれさせてしまうだけであり、別の会社で活かすことができないのは社会的損失でもある。
一日も早く、自分のスキルを活かせる環境へ転職していくことが当たり前であり、人材の流動化が高まることを望む。