雑談 マスク対策のみが重視されることへの違和感

新型コロナの感染についての報道にあたり、マスクをしていた(していなかった)ことが情報として伝えられることもある。
感染対策として、マスクのみが重視されることに違和感を覚えている。


マスクの効果として、感染している人が周囲の人へ感染させるリスクを抑えることだと多くの人は知っている。自分自身が感染するリスクを抑えるためのものではない、そのことも多くの人が知っている。
それなのに、「全ての人がマスクを着けることが大事」だと言われ続けることに違和感があるのだ。


マスクを着けていても、その扱い方次第で自分自身の感染リスクを高めてしまうと思われることもあるからだ。現に、大丈夫なのだろうか、と感じられることも珍しくない。
まず、頻繁にマスクを顎のほうにずらしたり、口に付け直したりしている人。あれでは、顎に付着したウイルスをマスクの内側に付けてしまうことになり、感染リスクが高くなるのではないだろうか。飛沫が顎に飛んでこなければ問題ないと考える人もいるかもしれないが、そうではない。ウイルスが付いたモノを手で触り、その手で顎を触ることでもウイルスは付いてしまう。周囲に誰もいなくても感染してしまうかもしれないのだ。

次に、テーブルや椅子、カバンの上にマスクを置く事例。これも上記と同様に、マスクの内側にウイルスが付いてしまえば感染リスクを高めてしまうだけだ。マスクの内側を上向きに置く人、下向きに置く人もいるようだが、どちらの方がリスクが小さいのか、これは判断が難しいところではある。


他にもリスクを挙げることはできるが、考えるべきなのは、マスクは正しく使わなければ、マスクを使わない場合よりも感染リスクを高める可能性があるということだ。マスクを着けていれば安心だと感じているかもしれないが、それは単なる気持ちの問題に過ぎないのだと考えたほうがいいだろう。そして、その安心感によって他の対策がおろそかになることも否定できない。現に、ウイルスの付いた手で目・鼻・口を触ることで感染すること、接触感染を知らない人も多い。
少し前の話になるが、某都道府県知事が「安全だが安心ではない」との理由で市場移転を延期したことがあった。そのことについて、批判をしていた人も少なくなかったと記憶している。しかし、今回のマスク問題では多くの人が「安心」を優先しているように見える。人間というのは難しいものだと感じてしまう。


自分自身が感染している場合には他の人に感染させないように注意して行動することは重要だ。感染している人がマスク着用を求められるのは当然のことだ。熱や咳の症状がある人も、マスクを着けることは必要だろう。
同居している人(あるいは職場や飲食店等で濃厚接触が疑われる人)が感染している場合にも、マスクの着用はやむを得ないと思う。あるいは、集団感染が発生したと言われるところに行ったのであれば、その場合も同様であろう。
問題なのは、上記のいずれにも該当しない人がマスクを着けることが適切かどうか、ではないだろうか。自分自身が感染しなければ他の人に感染させることもない。そのためにも自分自身が感染しないことを考えるべきなのだが、マスクの扱いが不適切な場合には、より感染リスクを高めてしまう。
マスクを着けるように周知するのであれば、マスクを適切に扱うよう、そのことも併せて周知すべきではないだろうか。


実際のところ、マスクの効果がどれほどあるのか、判断も難しいとは思う。フィリピンでの事例を書きたいと思う。
フィリピンでは、4月の時点でマスクの着用が義務となったが、感染者は少しずつ増えていった。7月初旬以降は 1日あたりの新規感染者数が千人を超えるようになり、7月下旬にはマスク着用を拒否すれば逮捕するということにまでなった。しかし、それ以降も増え続け、8月中旬には公共交通機関や職場ではマスクに加えてフェースシールドまでが義務となってしまった。
マスクの効果が大きいのであれば、マスク着用の義務化が早かったフィリピンでの増加はどのように考えるべきなのか。
検査数によるものなのかも知れないが、新規感染者数の 7日平均値をグラフ化しても、大きな山や谷が出来ている。新規感染者数のピークは 8月中旬で、その後いったん減少した後に再び増加し、9月中旬以降は減少傾向に転じたように感じられる。これはいいことだと素直に感じる。

 

(追記)
別の記事で、フィリピンでの感染者数グラフを書いた。リンクを記載しておく。
雑談 フィリピンでの新型コロナ感染者数グラフ