日本の労働環境 どうすべきなのか その3

前回、適性を考えない人事が行われるのは、やはり人事の制度自体がおかしいのだろうと書いた。
その理由を考えていきたいと思う。個人的には、終身雇用こそが根本にあるのではないか、という気がしている。少しずつ述べていこう。

まずは採用から考えていこう。新卒一括採用では人事部が採用業務の主担当である。しかしながら、人事部にも「この人が優秀かどうか」判断する能力などない。以前にも上司が部下を評価できないと書いたことがあるが、同じことだ。何かの分野に突出した人間を評価するには、ある程度はその分野に対する知識が必要になるのだ。数回会っただけで優秀かどうかを判断できるほど、人事部の人間は優秀ではないし、そのような訓練も積んでいない。そもそも、人事部に所属している社員自体、人事の適性があるかどうかで判断されていない。どちらかといえば、営業などの他部門で活躍できなかった人を異動させてくることが多いように思える。
では、どのような人間が評価され、採用内定を得ることができるのか。就活のルールを理解し、面接テクニックに習熟している人間だ。大抵の会社では、最終面接には役員の人間が出てくるだろう。最終面接の場には、それまでの面接を通過した人のみが残っているわけだ。役員面接の場に印象のよくない(面接テクニックの低い)人間がいた場合、役員から人事部が怒られてしまうだろう。役員にも人を評価する能力などないのだから。もしも特定の分野にだけ突出したような人間を「能力は高い」と人事部が感じたとしても、人事部は保身から役員面接までに落とすようにすることだろう。


そのような採用基準では、就活テクニックの高い人が優秀とされることになるが、実務で優秀かどうかは全く関係がない。そもそも、新卒一括採用では「総合職」「一般職」というおおまかな括りになっていることが多いだろうが、そのような採用でいいのだろうか。以前にも書いた、専門家を必要とせず、色んな分野をそこそこ出来る人を必要としていることが採用にも現れている。
なぜこのようになるのか。それは、一度採用してしまうと解雇ができないからだ。採用したときの事業や部門が無くなったとしても解雇は出来ないのだ。解雇できないのであれば、どこかの部門でそこそこの成果を出すことを期待するしかない。専門家であれば特定の分野でしか活躍を期待できないが、複数分野で平均的な能力であれば何とかなる可能性がある。
終身雇用という仕組みでなければ、新卒一括採用ではなく、その時々に応じて、必要な能力を持った人材を採用することができるだろう。そのかわり、事業縮小やプロジェクト完了などで必要がなくなれば解雇されることになるのだが。それでもいいのではないか。その会社では必要な人材でなくなっただけで、別の会社では必要な人材である可能性はある。人材の流動化が進むことによって、転職市場で転職回数も不利益にならなくなるだろう。また、解雇されてからすぐに転職できなかった場合の社会的セーフティーネットも必要だろう。この社会的セーフティーネットを設けたとしても、多くの人が適性の低い業務に従事している社会全体での非効率よりも経済損失が小さいと思う。