日本の労働環境 害悪と思える事業

前回、一見まともな事業であるかのように見えて害悪とも思える事業があると書いた。反社会的なものであれば害悪なのは当然だが、そのようなものではなく一見まともな事業として認められているものだ。


どのような事業なのか。なお、個別企業や個人のレベルで害悪なのではなく、事業そのものが害悪と考えられるものを指している。
まず最初に断っておきたい。私個人が利益を感じられない(あるいは興味がない)サービスを提供しているという理由で判断しているわけではないことを。
例えば、スポーツ関係などはまったく興味などないが、そのようなものを害悪とは考えていない。プロ野球もJリーグも、オリンピックも興味がない。だからと言って害悪だとは言わない。私が興味ないだけの話であり、スポーツ関係は高度な技能を魅せるなど娯楽として価値を生み出している。
将棋や囲碁のプロなども同様で、私個人としては興味がないのだけれど、価値は生み出していると思っている。


それでは、私が考える害悪な事業とはどのようなものなのか。個人視点ではなく社会全体の視点で価値を生み出していないものだ。
イメージしやすいのが、投資顧問をうたっているような事業ではないだろうか。彼ら、投資顧問が行っているのは、投資ではなく投機の助言にしか思えない。短期的・投機的であるために、誰かが利益を得るためには誰かが損を被るという構造にしかならない。
ただ単に誰かの資産を別のところに移動させるだけの助言に、社会全体視点で何の価値があるというのか。個人視点では価値を感じる人がいるかもしれないが、何も生み出してはいない。何も生み出さずに資産の奪い合いを助長するなど、害悪としか思えない。


これに近いものとして、ファイナンシャルプランナーというものもある。記事を読んだりする限りでは、「節約をして将来に備えて資産形成しよう」ということを主に語っているように思える。このことの問題点は、合成の誤謬そのものに陥りやすいということにある。各自が自分自身の利益を考えた行動の結果、全体の不利益となり、最終的には自分自身の不利益が生じてしまうのだ。具体的には、各自がお金を使わなくなることで社会全体の経済が低迷し、自分の収入も下がってしまう結果となる。
とは言え、ファイナンシャルプランナーは一般人が一生のうちに何度も経験することのない分野も助言をしてもらえるので、そういう点では価値がある。例えば不動産や相続のお金に関することなどは、あまり接することがないだけに自分で調べるのも大変だろう。金額が大きい場合は弁護士や司法書士にお願いするだろうが、ファイナンシャルプランナーへの相談で十分なケースも少なくないと思われる。その点において、投資顧問と同等ではないだろう。


今回は投資顧問のことに触れたが、他にも害悪な事業はあると考えている。いずれ書きたい。

 

(追記)
とある人から、マスコミなんかも害悪な事業と言えるのではないか、と言われた。
確かに、個別企業や個人では害悪と思える活動をしている存在はある。それらは少数とも言えないかもしれない。しかし、事業そのものが害悪なわけではないと考えている。