雑談 直接民主義を目指すのはいいことなのか

直接民主義を目指すと言っている政党があるという。
果たして、直接民主主義がうまく機能することは期待できるのだろうか。直接民主主義を望む人もいるようだが、私は好ましくないと考えている。


多くの場合、自分の身の回りのことを中心に考えるだろう。つまり、ミクロ視点での判断となる可能性が高い。マクロ視点が抜け落ちてしまうのだ。マクロ視点が抜け落ちてしまうということは、合成の誤謬に陥ることも考えられる。自分自身の利益になると思えることでも、巡り巡って自分自身の不利益となることもありえるということだ。
このミクロ視点同士の投票から、多数派の意見のみが採用されてしまう。全体視点・長期視点でどちらがよりよい結果となるかではなく、単純に多数派が勝つことになる。


例えば、「年金の支給額を上げるかどうか」の是非を国民に問うた場合どうなるか。恐らく、既に年金を受給している層、もうすぐ受給する層、まだまだ受給年齢に達しない層、それぞれで異なるはずだ。
どちらの結果になったとしても、不利益を受ける層の人たちは、自分と逆の意見を投じた人を憎むことになるかもしれない。政治家が決めたことであれば、政治家や政府に対して怒りを向けることだろう。しかし、直接民主主義であれば、国民が国民に対して怒りを向けるのだ。
直接民主主義で国民に決めさせると、年齢、性別、地域、職業、年収、様々な分断が起きてしまうのではないだろうか。この分断は、その結果が自分自身の利益・不利益と直結するものであるほど強くなるだろう。
国内外の情勢を鑑み、議員が判断すべきを判断し、その判断の責任を背負うべきではないだろうか。国民に判断してもらえばいいという考え方は、責任放棄と言えなくもない。


憲法改正のような、「国のあり方」のようなものであれば、国民に問うことも問題ないだろう。それ以外のものは、直接民主主義にはそぐわないだろう。特に、個々人の利益・不利益に結びつくようなものは好ましくないと考える。