日本の労働環境 見積もりは無料という風潮

見積もりは無料という意識があるせいか、気軽に見積もり依頼されることがある。
特に近年は、多くの会社で「発注にあたっては複数社の相見積もりを比較検討する」ことがルール化されている。それゆえ、(発注する可能性は低いけれど)とりあえず見積もりしてほしい、というものも非常に多い。あるいは、金額感を知りたいので、(見積もりはタダだから)とりあえず見積もりがほしい、ということもあるだろう。
客先から依頼されなくても、営業が「見積もりだけでも出させてほしい」と客先へお願いすることさえある。これには、見積もりは営業費目だから原価ではない、という意識を持っている人もいるようだ。本来、どのような費目であろうと、原価であることに変わりは無いはずなのだが。

本当に見積もりは無料なのか。そんなことはない。
既製品の様に、単価と数量で見積もりを作れるものはまあいいだろう。問題なのは、コンピュータシステムのような個別開発品だ。提案依頼書を客先が用意している場合もあるが、客先と数回以上の打ち合わせを行う場合もある。
個別品の見積もりでは、小規模のものであっても、打ち合わせや条件確認などもあるので最低でも1人日程度はかかるだろう。ある程度規模が大きくなると、見積もり作成にあたって、社内の検討委員会のようなところで承認を得る必要もある。そのようなものは、延べ10人日以上の原価がかかることもある。
1件の見積もりにかかる原価を仮定してみようと思う。ここで書く数値は単なる仮定で、根拠があるものではないことを断っておく。1人日の社内原価を3万円だと仮定しよう。見積もりの内容として単純なものから複雑なものまでバラツキがあるだろうが、平均で2人日だと仮定する。すると、この場合の仮定では、見積もり1件あたりの原価は6万円となる。
この仮定原価6万円の見積もりがすべて受注につながるわけではない。当然、受注できなかった見積もりにかかった分の原価は、受注できたところで回収するしかない。仮に10件に1件受注できたとすると、60万円の見積原価が発注金額に上乗せされていると考えることも出来る。

この無駄になった見積もり作成の原価は、製品やサービス価格に上乗せされ、社会全体のコストに反映している。最終的には、消費者が負担することになるのだ。
自社に有利になることを考えて複数社の相見積もりを比較しているけれど、それが社会全体のコストを上げていることに気付かなくてはならない。無駄な見積もりが他社のコストを上げる構造になっていて、それがめぐりめぐって自社のコストも上がってしまうのだ。これも合成の誤謬のひとつと考えることができるだろう。
現在のように、お互いがお互いを苦しめているような、気軽に見積もりを依頼することはやめた方がいい。ある程度、実施の意思が固まった段階で見積もり依頼するべきだろう。発注するかどうかあまり考えていないけれどとりあえず見積もりが欲しい、という程度の無駄な見積もりが2割でも3割でも無くなれば、それだけ社会全体のコストが下がるのだから。見積もりを有償とすることも考えられなくはないが、今となってはそれも難しい気がする。