日本の労働環境 人材配置の問題その2

前回、人材配置の問題に絡み、前提知識の不足する相手に説明することは困難であることを書いた。
日本では会議資料や上司への説明資料は非常にボリュームが多いが、その原因の一つがこれである。前提知識のあるもの同士であれば一言ですむところ、前提知識が著しく不足している人に説明するために数十枚もの説明資料を用意しなければならないのだ。適切な知識を持っていない人が上司であることによってムダな仕事が増えているのである。
説明を聞いて上司が理解できなければ更なる説明を要求し、説明する側の労力は増大する。そして、どれほど説明しても相手が十分に理解できることは無い。
上司が理解できなければどうなるか。上司自身では判断をしないということになる。自分に十分な知識の無い分野について判断することで、結果責任を取らされることに対する懸念もあるだろうし、仕方の無い側面もある。
「自分ひとりで判断したわけではない」という体裁を整えるために、いろんな部門の大人数を巻き込んだ会議を繰り返し行うこともある。日本にムダ会議が多い理由は、このような「責任逃れ」のアリバイ作りではないだろうか。

 

知識の無い人を役職に据えているもので、イメージされやすいのがCIO(最高情報責任者)ではないだろうか。日本の会社でもCIOを設けることが流行ったが、間接部門の役員に兼任させることも多いように見える。
情報処理やソフトウェアの知識を必要とする分野であるのに、そうではない人物が最高責任者となっているのだ。そして、情報システム分野の人間が多大な労力を費やしてCIOに説明することになる。
「自分がCIOだ」という意識があるからなのか、「なぜ」という部分をブラックボックスのままにしておけずに理解しようとするケースもあるが、繰り返し説明を求めても結局理解できることは無い。それは土台がないのだから仕方がない。
単に情報システム部門の人間が役員に説明するという旧来の構図と同じ。CIOが他の役員に説明できないので、情報システム部門の人間が役員会で説明するケースも目にしたことがある。従来の担当役員となんら変わりがない。CIOを設ける意味が全く無い状況。

 

他にも、信じられないことだが、システム開発請負を事業としている会社で、システム開発の経験もなく知識も全く無い人を課長にしていた例もある。課長が取引先に対していい加減なことを言って受注に繋げるのである。部下である技術者が取引先に対して訂正していくのがどれほど大変か。

人材配置の問題、まだ続きます。