雑談 高校授業料無償化ってどうなんだろう

子供の教育にお金がかかるので、子供を持つ家庭の負担を下げるために授業料を無償化するという制度だ。本来、無償化ではなく、税金化という言い方が正しいだろう。言い方はさておき、このやり方は本当に有効なのか。


勉強をしたくても経済的な理由で進学できない子供がいる家庭に対しては支援が必要だろう。しかし、それほど勉強する気も無いけれど、高校くらいは卒業しておこうというレベルであれば、支援してまで進学させなくてもいいのではないだろうか。実際、授業をサボったり、居眠りしたり、赤点を取ったり、そのような生徒を見たことはあるだろう。そのような子供に対する教育は必要なのか。義務教育卒業と比べて、どれほど有意義な知識を蓄積することができるのだろうか。そこに税金を投入するだけの効果はあるのだろうか。
勉強が得意ではない子供は放っておけ、という意味ではない。勉強が苦手な子供に無理に勉強させるのではなく、それぞれの適性にあわせて、職業訓練的な教育を施した方が有効だろう。あるいはスポーツでも芸術でもいい。その人の得意分野を伸ばしてあげられないだろうか。
義務教育レベルはクリアできている前提であるが、数学が苦手な子供に微分積分を教えることや、現代文さえ理解できればいい子供に古文を教えることが、どれほどの意味を持つだろうか。もし本当に必要な知識であれば、それは高校教育ではなく、義務教育に盛り込むべきだろう。
税金を投入するのであれば、高校にこだわることなく、それ以外の手段も考えた方がいい。労働人口が減っていくことは確定しているのだから、日本全体で、それぞれの適性に応じた役割を果たせるようになることが重要だ。

 

そうしていくには、企業の側も意識を変えていかなければならない。高校卒業かどうかではなく、職業訓練的な教育も評価することが必要となるだろう。高校卒業かどうかで待遇に著しい差が出るようであれば、高校くらいは出ておかなければ、という意識も変えられないだろう。

 

教育制度という意味では、小学校の教育こそ大事なのではないか。大事だとは思うのだけれど、なぜか重要視されていない。小学校なんて、「1+1=2」とか「あいうえお」という根本的な基礎から教えなければならないし、生徒の側に集中力もないし、小学校の教員なんて大変だと思う。一方、大学の場合は、一応は入試をクリアした学生であるから、授業の内容を理解できるであろうと推測できるし、大学教員は小学校教員に比べて遥かに楽だろう。それなのに、小学校教員の方が給与が低いというのはどうなんだろうなあ。
小学校、中学校で9年もかけるのも勿体無いと感じている。理解の速い子供が理解の遅い子供に合わせて授業を受けなければならないなんて、時間の浪費でしかない。全員同じカリキュラムではなく、飛び級も認められるべきだろう。ITを活用すれば個々の適性やレベルに応じた教育を行える時代も来ることを信じている。

 

(追記)
高学歴の方が仕事のできる確率が高いのだから、企業側としては高学歴の人を採用するのが当たり前で、その意識が変わることは無いとの意見を目にした。これは「仕事ができる」の定義の問題ではないだろうか。
このことにも、一度採用してしまえば解雇が難しいという問題が絡んでいるように思っている。環境変化により人員見直しが必要となった場合に別の職種へ転換させることまで考えると、特定の分野に適性が高い人よりも、色んな事にそこそこのレベルで適応できる人の方を採用したくなるだろう。環境変化に応じて必要なスキルを持った人を採用できるのであれば、企業側の意識も変化する可能性がある。