雑談 法律で学校のいじめ問題を解決できるのか

学校でのいじめ問題を解決するため、いじめ防止対策推進法なるものがある。法律の改正も検討しているようだが、果たして、法律でどれだけの効果があるだろうか。私は疑問を持っている。

まず始めに、いじめというものは必ず存在するという観点に立たねばならない。いじめは存在するべきではないが、存在するのが現実だ。いじめそのものを無くすことは不可能だろう。洋の東西を問わず、いつの時代であろうと、集団が存在する限り、いじめは存在するものだ。
ところが、現在の学校の対応を見ていると、いじめは存在してはならない、だから学校内にいじめは存在しない、という立場から見ているように思える。いじめは存在しないのだから、気付かなければいいという考えだ。

学校の教員側がそのように考える気持ちも理解できる部分はある。
いじめに気付いてしまうと、対処をしなければならないが、対処が非常に難しく、おそらく解決出来ないことも多いだろう。いじめ問題を解決する特効薬も無く、確立された手法も無く、ケースバイケースとなる。しかも、教員は専門家でもなく、それほどノウハウを持っているわけでもない。特に、今まではいじめ問題を隠蔽するなどしてきたので、ノウハウの共有も出来ていない。
いじめ問題に対処しようとしても、解決できなければ責任を取らされる。ところが、気付かなかったのであれば責任はそれほど問われない。であれば、気付かなかったことにした方が自分の立場を守ることになる。このような状況では、いじめの兆候があったとしても、表沙汰になっていなければ気付かないふりをした方がいい。

どのようにすればいいのか。難しい問題ではある。
教員側の意識を変えるために、いじめに対処できなかったことで責任を負わせるのではなく、いじめ問題に気付いたことをプラス評価していくようにすれば改善するのかもしれない。もちろん、対処をその教員に押し付けるのでは何も変わらない。学校全体あるいはその自治体の責任として考え、積極的に専門家を介入させていくべきだろう。
仕組みを変えるだけではダメで、子供の側の意識も変えていかねばならない。現時点では、いじめを受けている当事者である子供の側から、いじめを受けていることを相談することは簡単ではないと思われる。被害者が声を上げたところで、解決できなければいじめが深刻化する、という不安を持ったままでは相談など出来るはずもない。しかし、いじめを解決できるという成功例が出来れば、子供の側からの信頼も生まれてくるだろう。

いじめは無くならないことを前提に、対処のほうに力を入れるべきだと考える。