日本の労働環境 どうすべきなのか その10

このブログの第一回目に、日本の労働生産性が低い問題は、「働き方改革」では解決しないと書いた。他に対処すべき問題がある、と。
今まで書いてきたとおり、必要なのは「働き方改革」ではなく「雇用改革」だ。個人の適性・能力に応じた職務に配置転換すること、それを社会全体で行うこと。
旧来の日本企業のままであれば、日本型のやり方によい面もあったし、終身雇用でもよかったであろう。日本人1億総中流の時代、個人の能力に依存するのではなく総合力で勝負し、相互に助け合い、全員が運命共同体であった時代の日本的企業のままであれば。ただ、海外のやり方を取り入れようとするのであれば、雇用のあり方も含めて議論すべきだった。個人的には、旧来の日本企業のままの方がましだったと思っているけれど、仕方がない。相性が悪すぎるのだ。海外で終身雇用を取り入れようとする企業も出てきているようであるが、どこまでうまく融合できるか楽しみでもある。

中高年社員の中に、「働き続けたい」「社会の役に立ちたい」と言っている人がいる。その多くは、働くことが生産性の面でマイナスになっている。つまり、社会全体でマイナスになっているのだ。
そのような人に言いたい。あなたに出来る一番の社会貢献は、「仕事をしないことだ」「少なくとも今の役割を辞める事だ」と。

職を失った人は、社会的セーフティーネットで救っていくしかない。現在の生活保護のようなものだ。当然、働いて得る収入よりは下がるはずなので、生活レベルも下げざるを得なくなるだろう。
この社会的セーフティーネットを「働かずに生活するのはずるい」「許せない」と感じる人もいるだろう。しかし、考えてほしい。多くの中高年たちは「仕事の邪魔をし」「高い収入を得て」「社会全体のコストを上げている」のだ。つまり、社会的セーフティーネットは、仕事の邪魔をしないでくれたことに対する報酬なのだと考えられないだろうか。
その人たちも、自分の適性に合った仕事をすれば、社会の役に立つことになり、それなりの収入を得て、余裕のある生活ができるようになればいい。当然、社会的セーフティーネットで得る収入よりは多くあるべきだろう。