日本の労働環境 人材配置の問題その4

適性のない分野に配属された役職者が、自分の能力を超えた職責を果たさず、責任放棄することがある。あるいは自分の立場を利用して部下に責任転嫁することもある。実例を挙げる。

年度が始まって半年経過した、上期の終わり(9月30日)頃のことである。数人の役員連名で「このままでは予算達成できない。予算必達は厳命である。」旨の文書が社内向けに出たことがある。
それまで、月次損益の結果を毎月見ておきながら全く手を打たずにいたくせに、上期の終わりにそのような文書を出してくるのである。しかも方策はすべて部下に丸投げ。せめて、力を入れる商材・取引先、力を抜く商材・取引先、など方策くらいは提示すべきではないだろうか。
聞いた話では、当時の役員たちは「このままではいけない。何かを変えなければ。」と役員会で話題にするものの、何も具体的な話は無かったようだ。しかもそれが数年間に及んでいたとのこと。
役員としての職責を果たす能力がなかったのだろう。なお、これは東証一部上場企業の役員である。サラリーマン役員なんて、こんなものだ。

これも役員が責任放棄した実例だが、上記の役員とは別の役員の話。
とある部長が、「自社の力量と比較してリスクの大きいプロジェクトについて受注に向かうか撤退か」を役員に相談したとき、役員からの答えは「適切に」が繰り返されるだけだったとのこと。
結果的には他社が受注したようだが、その部長は「もし受注して成功した場合は役員自身の実績としてアピールされ、トラブルとなった場合は自分の責任となったことだろう」と言っていた。都合のいいやり方である。
失敗した場合の責任を部下に押し付けるための行動かもしれない。あるいは役員自身が自社の実力を把握できず、リスクの内容も理解できず、結果として判断する責任を放棄したのかも知れない。

ここでは役員を例として書いたが、部長や課長などの役職者でも同様に責任逃れをすることは珍しくない。自分の適性や力量にあった役職であれば自分で判断もするだろうが、そうではないのであれば仕方がない。単に、適材適所で無い結果である。権限を持っている人が責任を負わないようにすることは日常茶飯事として目にする。というより、責任を取るタイプの人は昇進しにくい。
こんな人達が高い評価を得て、役員にまで昇進するなど、評価制度がおかしいとしか思えない。

日本企業は判断が遅いと言われることが多い。当然である。権限を持っている人が判断することを避け、自分に責任がないというアリバイ作りばかりしているのだから。
権限委譲はしないが、責任を取らないという役職者がどれほど多いことか。多いというだけではなく、役職が高くなるほどその割合が高いと感じる。起業時からの役員は別としても、サラリーマン役員ではほぼ100パーセントではないのか。

次回からは、少し違った話題にしたいと思う。