雑談 ベーシックインカムを試験運用したところで何もわからない

ベーシックインカム実現の議論の中で、まず部分的(地域や期間、支給人数を限定して)に試験運用を行うという考えを目にすることもある。しかし、それはあくまで試験であって、ベーシックインカムが実現した世の中とは一致しない可能性が高い。


なぜならば、部分的であるがゆえに社会構造、就労構造を変化させることはできないからだ。勿論、構造をどの程度変革させるか、それは支給される金額にも依る。もしも大きな金額ではなく水道光熱費を賄える程度だとしたら、目に見えるほどの変化はないかもしれない。しかし、もし仮に最低限の生活を送れる程度だとしたら、大きく変わることは間違いない。


最低限の生活を送れる程度のベーシックインカムが本当に実現したら、低賃金では働かないという選択肢が生じてくるはずだ。例えば、ブラック労働の代表とされるような物流や製造の現場で働いている人たち。その他にもたくさんあるだろうが、実は低賃金の人たちの仕事は社会生活に直結しているものが多い。誰かがその仕事をする必要があれば、その職種の賃金は相対的に高くならざるを得ない。
一方、社会生活に直結しない職種は賃金が下がる可能性が高い。例えば、金融業などはどうだろうか。現在では高収入の職種として人気があるだろう。ベーシックインカムが実現してしまえば、資産運用を積極的に行う個人は少なくなっていく可能性がある。お金を借りるということも少なくなっていく。とすると、金融業の価値は下がっていく。当然、金融関係に従事している人たちの収入も下がるだろう。例として金融業を挙げたが、業種や職種によっては賃金が相対的に下がっていくと予想される。


生活が保障されているのであれば、生活のために働く必要がない。芸術活動や表現活動、あるいはスポーツ等に自分の生きがいを見つけることが出来るかもしれない。今までであれば、生活のためにそれらの道を諦めた人たちが、それらの道を諦める必要がなくなる。それぞれの分野で裾野が広がり、活動する人が増えることにより、トップ層(例えば数億円もの収入を得ている芸能人やスポーツ選手)の収入も下がる可能性がある。