日本の労働環境 PDCAサイクルを回せない日本企業その2

前回からの続き。

なぜ計画フェーズ、実行フェーズ後の評価を正しく行えなくなるのか。
行動指標を満たすことができなかった場合、そのことのみを責められることがある、という理由もあるだろう。PDCAの評価の意味を理解していないからだ。行動指標そのものが現実的であったかどうか検討するのであればいいのだけれど、それすらしないことが多いのではないか。
あるいは、本当の結果や数値を表に出せない場合もあるだろう。後々面倒になるだけで、何もプラスにならない場合などだ。

仮に、「受注件数を○○%増やす」ことを目標とし、「得意先の訪問回数をXX%増やす」ことが行動指標になったとしよう。行動指標ほど訪問回数を増やすことができなかった場合、「1回の訪問で2件の話題をしたので2回にカウント」したというケースを聞いたこともある。評価する側もそのようなことは知っていても、行動指標を満たせなかったことを結果に残せない。評価する側にとっては実態がどうであるかよりも、見かけ上達成できたことになっているかどうかが重要なのだ。そうしなければ、PDCA推進のトップ(多くの場合は役員だろう)から「なぜ行動指標を満たせなかったのか」叱責を受けることだろう。
また、現場担当としては「訪問回数を増やす」ことのみが目的になってしまうので、受注件数を増やすという目的は意識されない訪問が増えるだけだ。受注件数の増減が見られたとしても、それはたまたまであり、「ただ訪問するだけ」との関係性がどれほど強いだろうか。
他にも、「残業時間を○○時間以内に抑える」ことを目標とし、「上長が毎日部下の残業時間管理を行い指導する」ことが行動指標になったとする。業務の見直しをせず上司が時間管理をするだけで残業時間を減らすことなどできるわけないのだが、おそらく目標は達成されたことになるだろう。もちろんサービス残業という実態に目を瞑っているだけであり、この結果は捏造されたものである。
もしも「残業時間が○○時間を超えている」という本当の結果を表に出した場合、さらに面倒で手間のかかる管理のルールができるだけだからだ。業務のやり方や人員の見直しはされないので、仕事がやりづらくなるという結果のみが残ってしまう。サービス残業が生じる理由については、別のところで述べたい。

正しい評価が行われないので、計画の見直しもできるわけがない。

何のために評価するのか、何と何を比べて評価すべきなのか、評価する側がわかっていないのだ。このことは、企業内だけではないように思っている。