雑談 「本当の歴史を勉強しろ」と言う人たち

某国が日本を責めるときに、歴史問題を持ち出すことがある。過去の過ちを認め、謝罪しろというのだ。
そんなとき、日本国内からの意見として、「某国側こそ正しい歴史を勉強しろ。某国内での誤った歴史教育に洗脳されるな。」というものが出てくる。

果たして、「本当の歴史を勉強する」ということは可能なのだろうかと、考えてしまう。
自分たちが知っている歴史自体、当時の権力者に都合のよい記録である。また、歴史の途中で改変されたり、おかしな解釈が加わったものかもしれない。加えて、学校で教える公式の歴史というものは、その時点での権力者に都合の悪いものは除かれる。戦前戦後で歴史教育が大きく変わったと聞くけれど、これこそ権力者の意向が大きく反映した事例だろう。正しい歴史を知ることが難しい例をいくつか挙げよう。

まず、邪馬台国問題は、記録そのものが残っていないと考えてもいいのだろう。記録自体はあるのだが、「この部分は間違っている」「この部分は数値を大きくしている」など、記録の内容そのものを信頼していない、読む人がそれぞれ勝手な解釈をするようなものは、議論の基礎となる記録がないと同じようなものだろう。

次に、「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。」という文書が倭国側から送られたことが、隋の記録に残っている。これは、時代的に推古天皇から送られたものだ、とされている。しかし、隋書の記述に、「倭王あり~(中略)~王の妻は鶏弥と号す」という部分がある。つまり、倭王は男性であり、女性である推古天皇とは考えられない。これについて、当時の日本は大和朝廷で統一されていたのではなく、倭国は別の王朝だったとする説もある。日本には古来から大和朝廷しか存在しなかったのか、歴史をどのように解釈するか、ということだろう。あるいは、隋書に記録されている「倭王」とは聖徳太子のことだとする説もあるが、正式な記録でそのような誤りをするだろうか。

比較的近代の歴史でありながら、なぜ太平洋戦争が起こったのかもよく分からない。日本が米国に戦争を仕掛けたこと自体は事実なのだろうが、「なぜ」が分からないのだ。昭和天皇も開戦には反対だったようだし、政府の中心も天皇の意向を汲む流れもあったし、軍内部にも米国には勝てないと考える人も多かった。ハル・ノートが原因だとする説もあるが、それ以前から戦争の気風は日本国内に醸成されていたようだ。マスコミが戦争を煽ったとする説もあるが、大衆受けする(新聞がよく売れる)からそのよう記事を書いた面もあったらしい。とすると、いつの間にか国民が戦争を望むようになったのだろうか。おそらく、「なぜ」が解明されることもないだろう。

歴史を知る上で重視したいのは、誰の視点で書かれた記録なのか、あわせて考えることだ。複数の第三者が残した一次資料であれば、どのような事件が起きたのか、比較的信頼できると思われる。ただしそれでも、事象そのものは記録が残ったとしても、なぜその事件が起きたのか、理由までは残っていない。理由がわからなければ、理解することも難しくなる。

今であれば、学校教育だけを信じるのではなく、ネットで色んな視点からの意見を見ることは難しくないので、自分なりに考えてみることは重要だ。本当の歴史を知ることは難しいとつくづく感じる。