日本の労働環境 なぜ社内では慎重な意見が嫌われるのか

会社の中で昇進していく人を見ていて、なぜあの人が評価されるのか理解できない、と思ったことは無いだろうか。
高い評価を得やすい人は、慎重的な意見を言わない人に見える。慎重的な意見を述べる人は高い評価を得ることは難しい。

慎重的な意見を述べる人が疎まれるのは、随分昔から日本では当たり前のように行われてきた評価である。このような評価を行う組織として頭に浮かぶのが、大日本帝国陸軍だ。
大日本帝国陸軍では、積極的な人(威勢のいいことを言う人)が失敗した場合、大目に見られ、処罰されても比較的軽い処罰で済まされていた。一方、慎重な意見を述べるものは厳しく責任を追及された。
そのような組織では、慎重な意見を述べるものはいなくなり、無謀な意見がまかり通るようになる。その行き着く先がどのようなものだったか、知らない人はいないだろう。

積極的な意見を述べる人は、色んな角度から物事を考えるとか、自己分析・環境分析ができていないだけの可能性もあるのだが、それでも高い評価を得ていくのである。
今までにも数回書いたことがあるが、ダニング=クルーガー効果が影響していると考えられる。

このような評価が行われるのは、「積極的な意見を述べる」=「能力が高い人」と見えている可能性もある。逆に、慎重になるのは能力が低いからだ、と評価されるのだろう。あるいは、「積極的な意見を述べる」=「やる気がある」、逆に「慎重な意見を述べる」=「やる気が無い」と見えているのかもしれない。本来、積極的な意見かどうかと、やる気の有無は無関係なのだけれど。それに、無能な人がやる気があっても困ってしまう。無能な人がやる気があり、権限まで持ってしまうと最悪の結果となる恐れがある。
以下の言葉は、実際に過去の上司から言われたことである。
「最初から出来ないとか言うな。やる前から課題や問題点を挙げていくと無能扱いされる。出来ないことでも、一回出来ると言って、実際やってみたら問題がありました、の方が評価が高くなる。」
なんとバカなのだろう。無駄な労力をかける方が高く評価されるのだ。無駄が多ければ高い評価を受け、そのような人が昇進をし、そのような人が部下を評価していく。適正な評価など期待できる気がしない。