日本の労働環境 成果主義の問題その2

成果主義の問題について、引き続き書いていく。
今回は、評価する側の能力の問題について。

 

会社員の方は経験があると思うが、半年に一度くらい上司との面談があるだろう。その面談の際に「成果をアピールしてくれないと評価ができない」という趣旨のことを言われたことがないだろうか。
これは言い換えると、評価の基準が「成果」ではなく「アピール」だということだ。

 成果をアピールする人の中には、業務の成果がアピールに値するものだと自己評価している人もいるだろう。単純にアピールの得意な人もいるだろう。

仮に同じ成果を出した人がいた場合を考える。
能力的なキャパに余裕があって難なく業務をこなす人は特にアピールせず、キャパに余裕の無い人は高難度の業務を達成したように(自分では)思っているのでアピールをすることになる。このケースだと、特段アピールをしなかった人のほうが能力が高いということになる。

f:id:lonesometak:20200814105719p:plain


自己評価において、能力の高い人は過小評価し、能力の低い人は過大評価する傾向にある。いわゆるダニング=クルーガー効果である。

 

単にアピールの上手な人については、野球に例えれば同じ打球を処理してもファインプレーに見えない選手と、ファインプレーに見せる選手がいるようなものだ。
プロ野球であればファインプレーに見せることにも意味はある。観客に向けてプレーで魅せることがプロの選手として大事な要素であるから。ただし、監督やコーチはファインプレーであるのか、そうでないのか、どちらか見抜く能力はあるだろう。

 

能力が高かったとしても、ファインプレーに見せずに、淡々と難なく業務をこなす人は、周囲から見るとあまり大変そうに見えないので評価されにくいということもある。きちんと評価する能力がない人には、わかりやすくファインプレーだとアピールをしているものが素晴らしいものに見え、淡々と処理しているものは大したことをやっているように見えないのだ。
 

まだ続きます。